願わくば、みかんの花咲く里で

間もなく80歳。笑いながら、怒りながら、もしかしたらべそかきながら、自分を励まして生きていく記録

タイ山岳民族から買った袋、リニューアル

 私は10数年前、正確には2011年4月~2012年3月の1年間、タイ最北端のチェンカムという田舎町に住んでいた。そこにある Chiangkham Wittyakhom School という公立中学・高校の日本語教師ボランティアとしての滞在だった。本当に田舎の学校だったが、10km以上遠くから通ってくる生徒もいるので、生徒数2700人、教師数150人近くのマンモス校だった。

 日本語は選択授業で、私の仕事は週に5時間しかない。中3➥2クラス、高1~3各1クラス、トータル5クラスに週1時間ずつだけなのである。

🤔?:こんなに生徒が大勢いるのに、日本語を選択する生徒はどうして少ないの

 

 私はタイ語ゼロなので、困ったとき、何か聞きたいときは、英語教師に聞く。

 一番親しい英語教師ノイに聞いてわかったことは、生徒たちは4つの授業の中から1つを選ぶが、その1つが日本語であるということ。

🤔私 :じゃあ、ほかの3つは何なの?(ほかは魅力的なパソコン授業とかかな?)

😉ノイ:知らない。

🤔私 :えっ?あなた、この学校の先生でしょ。どうして知らないの?

😉ノイ:私たちは英語教師だから、英語のほかのことは知る必要がないよ。

 日常会話もおぼつかない日本人英語で、思い切ってタイ人の先生に聞いて、やっと理解したのがこれだから、ほかの先生に聞く気力をなくしてしまった。(田舎のタイ人英語教師の発音は信じられないほどヘン)

 まあ、聞いてわかったからと言ってどうにかなるのではないから、ヨシとしよう。

 そんなわけで、もう毎日暇で暇で、どうにも時間のつぶしようがなかった。何しろこの田舎町には映画館も、博物館も図書館も喫茶店も……、楽しめる所は何もないのである。😥💦

 学校から自転車を貸与されていたので、毎日、市場回り(朝市と夜市がある)とお寺回りをすることにした。タイだからお寺は自転車で行ける範囲にもたくさんある。

 その貧乏っぽいサイクリングで、1年間いろいろな人や出来事に遭遇するのであるが、上の写真はチェンカムに行ってすぐのころ、(2011年5月ころ)行ったお寺で、庭掃除の奉仕活動をしていた村人とひとしきり交流した時のものである。交流って言っても、あっちはタイ語だけ、こっちはタイ語ゼロだから、身振り手振りの交流である。

 さて、そのお寺には別棟の売店があって、そこでちょっとしたおみやげとお菓子を売っていた。山岳民族が手作りした袋やおもちゃなどである。私はちょうど通勤用(私の家から学校まで徒歩5分)の手提げを欲しいと思っていたので、赤いのを一つ買った。それを何と日本へ持ち帰って、体操教室に行くバッグとして毎週使い、今年14年目である。

 本体は黒地の目の粗い羅紗のような布で作ってあって、その上にひと針ひと針クロスステッチで作った布が貼ってあった。14年目ともなると、さすがに黒い羅紗?の方が白茶けてよれよれになってきた。しかし、赤いクロスステッチの方は、色もまだ鮮明で捨てるのはもったいない。

 それで、先日、黒い厚手の生地を買ってきて手提げを作り、その上に件のクロスステッチを貼ってみた。そうしたら、ほら、このとおり。まるで新品の手提げになった。

 

 どんな女性が、どんな山小屋でひと針ひと針ステッチしたのか🤔💦 それが10余年経た今も日本で活躍しているのである。