願わくば、みかんの花咲く里で

間もなく80歳。笑いながら、怒りながら、もしかしたらべそかきながら、自分を励まして生きていく記録

暑さかっ飛ばせ、アッパッパ

 暑くて暑くてしょうがない😖💦😖

日記をパラパラっとめくってみると、去年は八王子39℃なんて日もあるけど、やっぱり「猛暑日」という文字は今年の方が多い。

 バアさんになると、暑さはほんとうにきつい。😣😩

よし、暑さかっ飛ばすアッパッパ買おう!

 結構思い切った柄のアッパッパ買ったつもりだったけど、白い上着着ると、そうでもなくなってしまう。でも、首回りもそでぐりも広~く開いていて、どっこも締めるところがないから、着心地はなかなか快適。

 さて、今日はミャンマー人元生徒に会いに行くことになっていたので、その派手派手アッパッパを着ていくことにした。

 ZOOMでミャンマー日本語学校を教え始めて3年以上になる。しかし、たくさんのクラスを少しずつ受け持ち、しかも、その後(彼らは日本に働きに来るのだが)、東京に来る卒業生は少ないので、彼らと再会するチャンスはとても少ない。

 

 今日は予定では4人の卒業生と会うことになっていたが、2人は急に残業が入ったということで、池袋の約束の場所に来たのは2人だけだった。

🥰😊:あ~、こんにちは~ 久しぶり~

😲😚:先生、こんにちは。 

と挨拶したものの、う~ん、会ったことがあるような、ないような……??

本当に大勢の学生を月毎に送られてくるスケジュールで数回ずつ教えているので、余ほど特徴がある子でないと覚えられない。

家へ帰って名簿で調べたら、

右端 :ハニー ソー        23年5、8、10月にトータル 6回

その左:トゥナンダーニェイン 23年7、8、10、12月にトータル 11回

彼女たちのクラスを担当していたのだった。でもすっかり忘れていた。

 

🥰😊:今度の時は、今日これなかった2人も呼んで、ご飯食べましょうね💕

彼女たち、まだ日本で働き始めて3か月だけど、仕事にも生活にも慣れたようでまずはほっとした。

 

 

 

盆踊りで大汗の4日間

 去年に引き続いて今年も7月最終の水~土4日間は盆踊りだった。

24(水)、25(木)は杉並区高井戸のちびっ子盆踊り大会で、

26(金)、27(土)は地元の中野区野方の盆踊り大会。

 

 高井戸は「ちびっ子盆踊り」というだけあって、幼児・小学生の出番が多い。ちびっ子部隊が3つあって、グループごとに順に櫓に上がって3曲ずつ踊る。櫓に上りきれないほど大勢いるので「今年初めての友だち😳を優先にしましょう」とアナンスがある。踊りも「アンパンマン音頭」「ドラえもん音頭」「あられちゃん音頭」と子どもが好きな曲を元気いっぱいの振り付けで踊る。

 そのちびっ子たちが成長してこうなったのか、櫓の上で太鼓を打つのは、中学生高校生のお姉さんたち下左の写真は、今年太鼓を打つギャルの紹介。名前を呼ばれて一人ずつ挨拶する。

 そんなわけでちびっ子をクローズアップさせるのは素晴らしい企画だが、大人タイムのなると、櫓に上がる(練習してある)大人が少ないのが何とも残念。去年は4、5人いたが、今年は3人だけで、これじゃあ寂し過ぎないか?😥😨 

 大人タイムは3曲だけであるが、今年から私が教えた「三味線ブギウギ」が取り入れられたのがうれしかった。

 そんなこともあって実行委員のMさんを助けようと、私たち3人😊🥰😚が❝助っ人❞として登場というわけである。下の写真、左3人が高井戸部隊で、右3人が助っ人部隊。

 さて、その翌日から今度は地元中野区の野方盆踊り。野方は南町会と北町会に分かれていて、去年は私が老人会に踊りを教えに行っている北町会の当番だったので、盆踊り指導も受け持っていたが、今年は南町会の番で私の出番はなくなった。

 それで、2日間、北町会の皆さんの浴衣の着付けをして、櫓の上で踊ることになった。

 野方では太鼓を打つのは小学生から一般青年まで全員男性である。男性ゼロだった高井戸と対照的だある。そして、盆踊り曲の方も「炭坑節」「東京音頭」「八木節」といった昔からの曲で、これも高井戸と対照的である。それでも、去年やっと若者の曲「ダンシングヒーロー」が入った。
 何人かが「ドラえもんとか、アンパンマンとか、子どもが好きな曲も入れたらどうですか」と進言したが、実行委員長はなかなか首を縦に振らないとのこと。

 

 私はいろいろな盆踊りを(主催者側の立場から)経験しているので、どこの盆踊りもそれぞれ地域の特色が出て面白いと思うが、野方の人にも高井戸の人にも、よその盆踊りを経験してもらったらどうかと思っている。🥰

 

 

部屋をあてがわれて、何をする❓

 毎月近くの高齢者会館から月の行事予定表をいただくのだが、今月はその一番下にこんな記事を見つけた。❝お休み処ならぬ、涼み処❞の提供🎐である。

 あれっ!こういうお知らせ、7月号にもあったかな? 

調べてみたけど、この類の記事はなく、今回初の試みのようだ。

 ❝独り暮らしの高齢者宅を訪ねてみたら、クーラーも点けないで熱中症で倒れていた❞などということにならないよう、すすしい場所を提供しましょうということらしい。

なかなか区も考えるものだ😊

しかし、涼み処の提供はいいけど、ここへ行って高齢者は一体何をしようというのか?

そのうちに一度行ってみようと思うが、午後1時っていうと、炎天下を歩いていくのも大変😖で、うちにいる方がいいかもしれない。💦

 

 ところで、私は2つの老人会に入っている。住まいがある地元の地区には老人会がなくて、日常生活には関係のない2カ所である。

①N地区老人会 ➥ 会費年1,500円。集まりは月1かな?お茶とお菓子でおしゃべり。

         歌の先生が来てみんなで何曲か文部省唱を歌って、そのあと私が

         教える盆踊りを楽しむ。(財政が豊かな会なので、歌の先生にも

         私にも指導の謝礼が出ている)

         3か月に1度、ちょっと豪華なお弁当が出て、私が踊りを披露。

 

②M地区老人会 ➥ 会費年1,200円。それに保険料(任意)1,200円。

         今日初めて出たので、普通の月は何をしているのか分からない。

         隔月にお弁当が出るが、弁当代の半分くらいは参加者が払う。

         カラオケが好きな人が多いらしく、食事が済むとすぐカラオケ。

 

どちらにも歌があるが、歌の内容が全く違うのが、面白い😳😶‍🌫️

そして私は、どちらの老人会も❝踊り絡み❞で勧められるままに入会しているが、正直なところ、こういう会はあまり好きではない。多分、自分の居住地ではないからだろうが。

姉妹そろってバカになってきた !!

 4歳年下の妹がLINEでしょっちゅう書いてくることは、近況報告の後に

❝私は本当に馬鹿になりました❞ ❝こうして痴呆は進むのでしょうか❞😖

と、暗~い言葉の締めくくりである。

 で、「これはよくない、少し喝😶‍🌫️をいれようか」と、6月の最後の日に彼女のところ(横浜市)に遊びに行った。

 そこでまた❝私ってホントに馬鹿になっちゃって❞と枕詞が付く話を聞けば、物忘れが多くなったということである。物忘れなど、70、80になればみんな多くなってくる。

それで、1日妹と付き合ってみると、物忘れというより

「人の話をちゃんと聞いていない」

「質問しておきながら、相手の答えを聞かないで自分で答えを出し、別のことを考えている」

つまり、もの忘れする以前の問題もかなりあることが分かった。今していることに集中する力が劣ってきているとでも言おうか。

 さて、そういう私もこのごろ無くし物、忘れ物が多くて、それが2日続くとさすがにショックである。妹と同じでネジが緩んできたのだろう。

 

 で、私の方は物忘れのほかに、❝馬鹿になった❞証拠がもう一つある。

 長い間、私は暇つぶしに「ナンプレ」と「漢字パズル」の雑誌を交互に買ってきているのだが、その「ナンプレ」の方のレベルが最近落ちてしまった。😖😥

 簡単なナンプレはつまらなくて、何年もの間、上左の「超難問ナンプレ」を買っていた。と言っても、これが全部できるわけではなく、できたのは70%ぐらいだったかな?

 

 ここ半年くらい「ナンプレ」を休んで「漢字クイズ」にはまり、先々月、久しぶりに「さて、ナンプレに戻ろうか」と以前からの左の雑誌を買ったのだが、これが今回30%ぐらいしかできない。片手間の暇つぶしじゃなく、真剣に取り組めば40%くらい行けるかもしれないが、しょせん暇つぶしである。でも、30%とは……

 で、30%じゃ困ると、レベルを落として、今回右の「ナンプレ館」を買ってきた。

あ~ぁ、何てこと~😨😱

ちょっとショックである。結局私も妹と同じで、集中して考える力がなくなっているのである。

あ~ぁ、姉妹そろってバカになってきたのか~😱😳💦

 

アルゼンチンの日本舞踊発表会

 アルゼンチンの元弟子たちから「第20回  日本舞踊発表会」(6/30実施)の写真や映像が送られてきた。この発表会はJICAのシニアボランティアとして、ブエノスアイレスに赴任していた私が、2002年7月に第1回を立ち上げたものである。

 私の2年の任期の後、3人のシニアボランティアが引き継ぎ、また私自身も2017年まではほとんど毎年、自費で数か月ずつ行って指導していたが、2018年以降は日本からはだれも行っていない。それにもかかわらず、発表会をしなかったのはコロナ禍の3年間だけで、今年20周年を迎えたのである。🥰😚

 私自身は日本舞踊に魅せられてずっと続けているが、日本的な思考素地を持たない彼・彼女たちが、指導者もいない彼の地でどうして続けられるのか??

種を蒔いた私自身が不思議に思っている。

 今、この写真を見ると、ああ、行きたかった。😅

 実は今年は20周年大会をすると聞いた1月から行こうかどうしようか、迷っていた。でも、諸般の事情の中で行かない方を選択したことが、今、悔やまれる。😨💦

 

 アルゼンチンはこれから冬に向かうが、夏に突入した日本の私は、今日はウルグアイ時代(アルゼンチンの後、着任した国)の友だちに誘われて、横浜でランチしてきた。

 おいしいチーズが出るランチだったので、アルゼンチン・ウルグアイでおいしかったチーズの思い出など語りながら、幾種類かのチーズをいただいた。

 暑い時はやっぱり疲れる。帰宅して30分ばかり昼寝したら、やっと少し疲れもとれて、TVニュースを見たら、今日はこの夏一番の暑さだったとのこと。

 アルゼンチンのalmunos(弟子たち)の頑張っている姿をみたら、暑くても私も明日から踊りの練習、がんばろ~~~~う😊😚っていう気持ちが弥増してきた。

夏の着物はやっぱりきついです

 今月の三美会は京王プラザホテルの「グラスコート」でランチしましょうとなった。

❝3人の着物美人の会❞だから、行き先が決まると、いつもしばしの話題は何を着ていくかということになる。

🤔:暑いけど、まだ6月。単衣かしらねぇ。何着てく?

😚:私は単衣か絽だけど、当日の暑さ次第ね。

🥰:私も絽かも。

そう言ったまま結論は出ず、相棒2人は何を着るのか、知らないまま約束の6月19日。

 前日の18日は雨で涼しかったが、19日は朝からか~っと照り付けていて、やっぱり着物は暑い。帯を締めるころには肌がじと~っと湿ってくる。

 待ち合わせの中野駅に着いたら、3人とも期せずして地味な単衣を着て来ていた。

 4月に桜を見に行った時には

😊😋🥰:春だから、桜だから、できるだけ派手な着物にしましょうね。

と、赤やピンクを着ていったのに、やっぱりこの時期は涼しい色にしたいと、思いが一致したのだろうか。

 着物でお腹をしっかり絞めているけど、いろいろな種類をたくさん食べた。

ビュッフェで7,000円はちょっと高いと思うけど、値段に見合ういいものが準備されている。それぞれの量が少なくて上品なのがいい。それでも

「ランチでこの値段じゃ、1年に2,3回かな」などと思う。

 

🙄:さ~て、お腹がいっぱいになったから、都庁の展望台にでも行きましょうか。

 45Fの展望室ではボランティア?の男性が❝あれが何で、あちらが……❞といろいろレクチャーしてくれ、

😳:今日はどちらからいらっしゃいました?

😊😋🥰:中野からです。

😲:あそこに三角の建物が見えるでしょう。あそこが中野駅前です。

 そうですよね、どこか遠くから、高いところから「中野は?」と探すときはサンプラザの三角ビルを目印にする。サンプラザがなくなったら(間もなく無くなる)何が中野の目印になるんだろう?

 

 帰宅して時計を見たら、5時。

暑くて、やっぱり疲れて、20分ばかり昼寝してしまった。

実はもうひとつ、実演中?!😱

 氷川神社での奉納舞踊が終わって1週間ぶり、体操教室へ行ったら、

🥰:よかったよ~。

😚:ほかのグループよりも「佳の会」が断然光ってたね!

😅:ありがと~💕

お世辞半分だとは思うものの、こんな声はうれしい。😅

 

 もっと嬉しかったのが、普段、体操教室のメンバーではあまり親交のないSさんがスマホで映像を撮ってくれていたこと。早速送信してもらって、家へ帰って観た。

🙄あらっ!

私たちが踊っているその下で、子どものチャンバラ劇が繰り広げられているではないか!

 撮ってくれたSさんはかなり後ろからスマホをかざして映していたので、子どもには気が付かなかったらしい。でも、こうして映像を見ていると、子どもはあっちへ行ったりこっちへ行ったり、刀を抱えたり、上段に構えたりと、忙しく動き回り、なかなかの演技である。

 子どもの遊びの中にチャンバラなど無くなった今の時代に、

❝お祭りならでは……❞ ❝神社ならでは……❞の1コマとして、実に面白く、すがすがしい気持ちになった。

 当日1番前に陣取っているこのご婦人方は、後ろ姿から見ても、私のたいそう友達だとわかるが、もしかしたら彼女たちは(神楽殿を見上げないで)目の前の子どものチャンバラ即興演技を見ていたかもしれない。

 いやいや、結構です。本当にチャンバラなど、滅多に見られないですから😲