友だちからLINEが来た。(私たちは3人でグループLINAをしている。3人で250歳余)
😚(H.90代):Nさん、こんばんは。私がブラジルにいた時、
ワールドカップ・フランス大会がありました。
あの時、アラサツーバ(サンパウロ州の移住地のひとつ)の人々は銀行も学校も
休み、大変な騒ぎでした。あの時、サッカーボールを娘がフランスから(ブラジルに)
送ってくれたのですが、あのボールはどうなったのか………?
当時を懐かしく思い出しています。
😉(N.80代):フランス大会はCopa1998 ですよね。ブラジルは準優勝だったから、
にぎやかだったでしょうね。
私はCopa1982スペイン大会の時、サンパウロにいました。試合が日
中あるときは、銀行も学校も閉まってみんな集まっての応援でした。楽しかった
です。あの時、ブラジルは準決勝に届かず、みんなで残念がりました。
HさんとNさんは時期は違うが、ある時期、サンパウロにいたので、話がよく合う。
このLINEで私も2002年、日本・韓国共同で開催したワールドカップを思い出した。
2002年6月2日(日)未明、❝ウオーッ、オオオーーッ❞という雄叫びと花火の音で目が覚めた。時計を見たら午前3時50分。「ああ、ナイジェリア戦で勝ったんだ。いかにもアルヘンティーノらしい喜び方ね」と思って、また眠ってしまった。
日本・韓国共同でワールドカップが行われた2002年、私はアルゼンチンで仕事をしていた。その年、アルゼンチンは国中がMUNDIAL2002(ムンディアル・ドスミルドス)という言葉で沸き立ち、テレビのCMも街のデコレーションもワールドカップ1色に染まっていた。
日本とアルゼンチンは時差12時間だから、ワールドカップはアルゼンチンにいれば、夜中に行われるわけである。私は夜中までテレビを見るほどの興味はないので、次の日に結果を聞いて知るのみだった。
次はアルゼンチン・スウェーデン戦だったが、その日は早朝5時ちょっと過ぎ、花火の音が「ドンドン」と2つ鳴って目が覚めた。
🤔:サッカーは4時半に終わったはずだが、こんな時間に…??しかも花火2発だけ??
8時過ぎにメイドのエステルが来たので、聞いてみたら、1対1の引き分けだったとのこと。なるほど。
最後のイングランド戦。何対何だったか、とにかく負けたので、みんな怒り狂ったのだろう。翌日は街のあちこちに、道路にも、叩き割られたガラス瓶が散乱していた。
そして、負けた途端、残念だでもなければ、ほかの国はどうかでもなく、まるでW杯なんてものはなかったみたいに、話題にもならないし、デコレーションもきれいさっぱりなくなって、知らん顔。不思議な国民性である。
さて、今回はどうなんだろう。今までの成績表を見ても、ブラジルもアルゼンチンもいい成績らしいということは分かっても、試合など見てないから、さっぱり予想などできない。有望なのか、どうなのか。
日本も有望なのか、どうなのか? 「関心薄」と言ったら、アルゼンチンでは袋叩きに遭いそうだが、日本人でよかった~。


















