願わくば、みかんの花咲く里で

間もなく80歳。笑いながら、怒りながら、もしかしたらべそかきながら、自分を励まして生きていく記録

辺鄙な生活に慣れる

 先週、遊びに来てくれた友達は、私が駒ヶ根仲間」と称しているうちの一人である。

 2007年夏、130数人のシニア仲間がJICAの駒ヶ根研修所で研修を受け、秋には世界各地へと散っていった。その130数人のうち、22人くらいが女性だったのだが、どういうわけからだったか?更に22人のうちの5人が、2年の活動を終えた後、再び会うことになった。ブータン、ドミニカ、エクアドル、アルゼンチン、そして私がウルグアイからの帰国だった。

 JICAから派遣された場合、(一応国?からの派遣だから)まあまあその国では中に近い、あるいはそれ以上の住まいが保証されているが、いくら箱は立派でも、途上国だからインフラが悪くて、さらにそこで言葉が通じないとなると、生活するのに苦労する。

 つまり、途上国でのボランティア活動は、その地で活かせる何かの技術や能力を持っているかということよりも、そういう環境で(平気で)生きられるかということではないどろうかと、今になって思う。

 

 下はエクアドルに行った裕子さん。ここは沖縄北端の辺戸岬。今日も与論島が今、裕子さんが立っているずっと向こうにうっすらと見える。

 その後、私は民間のボランティア派遣団体の要請で、タイとミャンマーへ行った。

 こちらは、インフラはもちろん、箱も中身も悪く、さらに熱帯で界隈の衛生状態も悪かった。壁や天井では1部屋に30匹くらいのヤモリが活動し、床にはしょっちゅうヌルヌル系の虫が這ってきていた。

 

 さて、今いるここ沖縄は、日本である。ちょっと暑いけど、インフラはいいし、アパートも築3年弱の2LDK.

 そこへ裕子さんが遊びに来て、帰ってから彼女が「駒ヶ根仲間」に書いた感想。

ほかから見た自分の生活について読むのは、面白い。

 裕子さん、ほんとのところ、もっといろいろ困ること、あったんだよ。掃除道具、ハンガー、何もなし。この座卓もやっと準備してもらった。初めはご飯食べるのにも、スーツケースをテーブル代わりにしてたんだよ。

以下、裕子さんが仲間に宛てて書いた報告メール。

 皆様心配かけました。

「裕子さん、キヤンセルできない?!」から始まる押しかけ旅・・・皆さんも不安がらせましたね。
でも牧田さんは、事前に緻密なスケジュール、朝・昼・晩の食材も冷蔵庫に遥か40分掛け「名護」の
イオンまで購入しに行き、準備万端!!地元の方より寝具・シーツまで借り、雨の中にもかかわらず3階まで運んで置いてくれました。

 3年に一度の、地元から開拓者として渡南米したその日系3・4世を優待し、沖縄や日本文化に触れ、楽しんで帰らせる。日本で生活する為の日本語学習ではないので、彼らの学習意欲を持続させ、向上させることは、至難の業。

 パイン畑の丘に建てられた新しい3階建ての集合住宅、2LDK電化製品は揃えられていても、お湯を沸かすにもやかんは無し、パンを焼くにも、トースターは無い。

 座卓の食卓だけど、座布団無い。色々工夫してました。
 洋式トイレだけど、洗浄機能がない・・・これは他の施設でも多い
 昭和50年に開催された「沖縄国際海洋博覧会」で、隅々まで道路が整備され、介護施設・病院・イオン・牛丼の「吉野家コンビニ等、市内は、本土と変わりません。

が、「東村」以北は、そういうものは無さそうです。
 あと二年、免許返納を考えている牧田さんは、村から与えられたレンタカーを、私より切れの良い運転さばきで素敵な所・レストラン・友人宅へ連れて行ってくれました。
 「海ブドウ」ワンパック牧田さんの顔で、無料でゲット!
 パイン農家さんの紹介。
 研修生の授業参観

 「発声」・「書き順」などのアプリを活用した、思わずのめり込む視聴覚教材の展開
 ・・・牧田パワー全開!まだ伸びしろは無限大!ますますファンになりました。

 それにひきかえ、空港で預け荷物の間違い!自宅から、空港までのカーナビにひと苦労!私・・ヤバイ!
以上報告終わり。