願わくば、みかんの花咲く里で

間もなく80歳。笑いながら、怒りながら、もしかしたらべそかきながら、自分を励まして生きていく記録

先週までいっしょにいたように

🤩:ピェピョッアウンとテッスーが、東京に仕事変わったんだって。

👩‍🦱:ふ~ん、じゃ、そのうち会えるね💕

彼らは四国の、確か徳島県で働いていたと思うけれど、東京がいいのかな~。

 こんな風に話していたのだったが、Aさんの計らいで思ったより早く4年ぶりの2人のミャンマー人の元生徒と会えることになった。

 

 ちょっとドキドキしながら新宿駅南口で待っていると、近づいてきた彼らはあのころと比べて、かなり”垢抜け”して若返って見えた。20代の若者を「若返って」というのも変だ。「はつらつと」と言うべきか?

 

👩‍🦱:ピェピョッ、久しぶり~! あっ、テッスーも………!

 まるで先週まで、ヤンゴンのあの蒸し暑い教室でいっしょにいたように、違和感がない。でも、あのころは変な日本語でやっと……だった2人が、今や流暢に話しだす。

(左端がテッスー、白いTシャツがピェピョッ、ほかは日本語教師の仲間)

f:id:mikanhanasaku:20220414232903j:plain

 4年前、たった半年だったが、私はミャンマーの人材派遣会社の主宰する日本語学で働いていた。初めは「現地の先生(ミャンマー人教師)を指導してくれ」という話だったが、実際には教室授業で、どちらかというと上のレベルのクラスの指導が主な仕事だった。そして、この2人は当時、初級レベルの後半に差し掛かったクラスにいた。

 

 短い時間で、話はあっちに飛び、こっちに飛びで、彼らの日常がはっきりと分かったわけではなかったが、結構専門性を活かせるところで働いているようで、生き生きとしていて、うれしかった。

 ひとつ気になったこと。

「日本に来ていいこと、嫌なこと、いろいろあると思うけど、一番嫌だったことは?」

と聞いてみたら、心配した通り、ミャンマー人ということで差別扱い・差別語を使われることがあるという問題だった。これについての対応・考え方は、この席で私なりに誠実に話したつもりだが、………あ~~あ、むずかしい😟