願わくば、みかんの花咲く里で

間もなく80歳。笑いながら、怒りながら、もしかしたらべそかきながら、自分を励まして生きていく記録

三ケ日への旅 ③ この駅の先には無限の夢が

 私が育った三ケ日町は、三ケ日という町を中心に15くらいの村が集まってできていたが、それはすっぽりと盆地の中に収まっていた。つまり、村々の背後には、東から北、西へとぐるりと高い山が連なっていて、それが子どもには途轍もなく高い、越え難い山に思われた。

 西の本坂峠の隧道(下の写真)を出れば、そこは愛知県。北の宇利峠も峠の先は愛知県。北西の亀割峠の先は静岡県ではあるが、他県よりもっと近寄りがたい峻厳広大な「奥山半僧坊」があった。

 南の一部だけが低く開けて、三ケ日の町があり、町は浜名湖へと続き、

そこに国鉄二俣線が通っていた。

 二俣線は、今、第三セクターに移譲され天竜浜名湖線命名されて、車両も1両だけで、ほとんどが無人駅となってしまったが、かつては4両で1日7、8回、労働力を学生を満載して外へ運び、お金や文化を外から町へ運んでくる、町と外の世界とつなぐ大変重要なものだった。

 私も小学生のころまでは、三ケ日盆地の中のほんの狭い範囲の貧しい生活で十分幸せだったが、中学生になると生意気になって、

「いつか、私はこの汽車に乗って、狭い町を飛び出すんだ!

 そして、この町には二度と住まないぞ!」

と思っていた。思春期に『この駅の先には、無限の可能性がある』と夢見た駅が、今はひっそりと人影もない。

 そして、まあ、なんていうこと!🤔

田畑も家も、墓地までが無くなった今になって

「願わくば、みかんの花咲く里で、人生の最後を過ごしたい」と思うなんて!!