願わくば、みかんの花咲く里で

間もなく80歳。笑いながら、怒りながら、もしかしたらべそかきながら、自分を励まして生きていく記録

薄れてしまったおみやげの習慣

 先日「駒ヶ根仲間」のうちの3人で会ったのだが、この仲間は、会うとき必ずお土産を持ってくる。

今回は北海道の🌰ちゃんのお土産が写真左のベネゼエラのチョコレート、

東京の🦊ちゃんが写真右の「ずんだせんべい」と(なぜか?)ファウンデーション

それで、私も何を持って行こうかと、この仲間と会うときはいつも頭を悩ませる。東京には、これといういい名物がない。人形焼き?雷おこし?……私はどちらも嫌いである。自分が嫌いなものはおみやげにはしたくない。

 ただ、今回だけはいいものがあって助かった。考えなくてすんだ。5月2日に三ケ日へ行ったとき、道の駅みたいなところでで買ってきた「三ケ日みかんゼリー」が2袋残っていた。(賞味期限は秋までだから心配ご無用)これをおみやげに1袋ずつ。

 さて、おみやげの習慣についてであるが、実は私はほかの仲間と会うときは、よほど久しぶりでない限り、おみやげは持って行かない。昔は「どこへ行くのにもおみやげ…」だったようにも思うから、いつの間にか薄れてしまった習慣かもしれない。

それはいいことなのか、悪いことなのか??

 おみやげを選ぶのは難しくて嫌だが、もらうのはもちろん、とてもうれしい。😋😘それで何かいただいたら、「ありがとう!」親切にしてもらっても「ありがとう」であるが、おみやげも「ありがとう」も国によって違うのが面白い。

 今「ピダハン」という本を読んでいるが、これはアメリカ人の言語学者が書いた「ピダハン」というブラジルの未開民族の文化人類学みたいな本である。それのよれば、ピダハン語には「ありがとう」や「ごめんなさい」に相当する言葉がない。ピダハンには社会や人間同士の関係を維持するための言語活動はなく、感謝の気持ちはあとから親切な行為の形で示され、謝罪の気持ちも行動で表されるから言葉は必要ないのだそうである。

 

 で、思い出したことがある。タイで生活した時のこと。これは次回書こう。😉