願わくば、みかんの花咲く里で

間もなく80歳。笑いながら、怒りながら、もしかしたらべそかきながら、自分を励まして生きていく記録

水飲み場まで連れて行くことはできるが

 大いなる紆余曲折はあったが、今週からまた研修生への日本語指導が始まった。

 私からすれば、彼らの理屈は通らないと思うのだが、若い彼らには

「自分たちの言い分こそが絶対に正しい」という信念があり、「でも研修だから仕方なく……」ということで、午前中だけ日本語の授業を受けることになった。

 授業はちょうど「動詞のテ形」という一つの難所に差し掛かり日本語能力試験(12月4日にN5レベルを受験する)までにあと7回しか授業がないので、何とか本気で取り組んでほしいと思うのだが、「やらされて、仕方なくやっている」という意識の彼らは吸収が悪い。説明している時も、4人がそろってこちらを見るということがない。

 これは教える立場からすると、本当につらい。本当に「馬を水飲み場までつれて行くことはできるが……」のとおりである🐎

 それで思い出すのが、4年前に教えていたミャンマーの日本語アカデミーの生徒たちである。

 この写真は、あと数日でお別れというある日、「プレゼントがあるから教室に来てくれ」と言われて教室に行った時のもの。この日、クラスからポシェットをもらって、お別れということで何か話したのだったが、何を話したのだろう? 思い出せない。

 こういう時、ミャンマーでは、目が先生と同じ高さにいるのは大変失礼だということで、私は腰かけていて、彼らは床に座る。この子たちは全員大学を卒業してから、この日本語アカデミーに入ってきたので21~22歳である。それなのに、この純真な目!!

 訓示など大嫌いな私だから、大した話をしたはずはないのだが、本当に真剣な目で私の方を見ている!

 研修生たちにも、学ぶということはこういう姿勢、こういう心であってほしいと思っているが………。

 どこからこういう違いが出てきたのだろう。ラテンとアジアの違いなのか?

 

 余談だが、私はここ沖縄東村にくる1週間前まで、リモートでミャンマーの日本語アカデミーのクラスを教えており、12月下旬、帰京した翌週からそこに復帰することになっている。