願わくば、みかんの花咲く里で

間もなく80歳。笑いながら、怒りながら、もしかしたらべそかきながら、自分を励まして生きていく記録

野越え山越えの 盆踊り指導

 月に1回、老人会に踊りを教えに行っている町会から、5月になって「今年は盆踊りをしますから、そのご指導を……」と頼まれた。

 初めは、こちら(指導者)は2人だし、❝盆踊りくらい お茶の子さいさいだ❞と、気軽に引き受けたのだが、いやはやとんでもないことに……と気が付いたが、後の祭り😱

 

とんでもないことの

その1、一般練習が始まる前に実行委員長😤が  会いたいというので、行ったら、

自分がいかに盆踊りや太鼓の経験豊かな人間であるか  という❝ひとくさり❞のあと、

彼😤いわく:わが町会には、町会の昔からのやり方があって、例えば

  ○○さん(名士)が来て炭坑節の太鼓叩きたいと言えば、次の曲は炭坑節になり、

  △△小学校の校長先生が来て東京音頭を踊りたいと言えば、次は東京音頭

  というふうに……。ですから、9曲教えていただいても、当日踊らない曲も……

私😠:(ナヌ! それはおかしい!)

   この9曲は、あなた達が選んだんですよ。私たちが決めたんじゃないですよ。

   それなのに踊らないかも…? そいうやり方なら、私、この話、降りますわ。

相棒と係の女性😰😥:まあまあまあまあ…。ちゃんと9曲踊るようにしますから。

 

 あとで考えれば、あそこで辞めるべきだったが、相棒がこのチャンスにある人の名前を売りたい(?)と計画していたのを知っていたので、私は彼女のために折れてしまった。本当に辞めるべきだった。

 

その2、ここである人の名を売って❝女を上げよう❞と張り切っていた相棒が、練習が始まる4日前、なんと何と急逝してしまった。(数年いっしょに踊ってきた彼女の過ぎし日々と無念を想えば悲しさはひとしおであるが)彼女が無理を通そうとして実行委員会とぎくしゃくしていたことが、すべて私の肩にのしかかってきたことは、何とも承服しがたいことだった。

 仕方がないです、後始末します。

 町会の人々が集まっての練習日は4回しかない。指導を頼まれた9曲を、4日間でどうやってみんなに覚えてもらおうか🤔🙄😏

一生懸命考えて、掲示物も作ったりした。ああ、それなのに……

その3、それなのに、いざ練習が始まったら文句たれ助、文句たれ子が何人かいる。

 😲:前に習った時は、ここがこうなんですけど……

 😏:前の先生は、こう踊ったんですけど……

      *前というのは、コロナ前、3年前なので、一部分しか覚えていない。

      *前の先生っていうひとは、今は施設に入ってしまっているという。

 そういうことで私が教えるのは、6曲に減った。こちらのやり方を通したところもあるけど、正直なところやる気を殺がれた。腹立たしくもあった。

もう、ここまで来たら、怒らない怒らない。😣🤐

 

 こうしてやっと練習が終わった。後は、本番を待つのみ。

本番は7月28、29日です。

 ちょうどその前日に杉並の高井戸盆踊りがあり、こちらからは櫓の上要員を頼まれ、もうおそろいの浴衣まで預かっている。

当日の細かいスケジュール表も来ているのに、肝心の我が隣町会〇〇の方は(みんなが分かっているのだろう)、私には集合時刻さえ知らされていない。