高校1年の時、田舎である日本舞踊の発表会を見た日、
「私がやりたかったのは、これだっ!」
その時から日本舞踊に取りつかれてしまった。すぐに入門して稽古を始めたのだが、その後、大学に入ったり、就職で上京したり、結婚、子育て、仕事、しかも外国で仕事……と生活や住まいが大きく変化する中で、踊りの方は休むことの方が多くなってしまった。
そんなふうにして、あの日から何十年。………………
2018年、ひょんなことから踊りを再開し、その関係で2020年から「佳卓流」の家元に師事することになった。(下は、佳卓先生に始めの挨拶)
佳卓先生は、舞踊団を率いて舞踊公演をするのが主な活動なので、普通の日本舞踊教室と違うところは、一般弟子(団員ではない)は、例えば長唄、常磐津、清元のような長いものを教えていただくことはできない。(長い曲の発表のチャンスがないから)
私が若くて、これから日本舞踊の道を究め、この道で立って行こうとするなら、これはちょっと困るが、今の私の場合、このくらいがちょうどいい。
さて、その佳卓流舞踊教室では、毎年個人の舞踊曲1曲と群舞1曲が家元から課題曲として与えられ、それを練習していくのであるが、ここ数年はその最大の発表の場が「喜々踊々舞踊発表会」である。
今年は先日・11月5日に「喜々踊々舞踊発表会」が行われた。私の今年の課題曲は「博多追分」 そして群舞が「からめ節」
「今年こそ」「今年こそ」と思って稽古を始めて、舞台に立つのだが、どうしてこんなにダメなのか? 本衣装を付け、本鬘をかぶっただけで、20%体の動きが鈍ってしまう。
今年もそうだった。どちらも失敗😣😩
当日の映像ができてくると、数日間落ち込む。今回も、昨日まで落ち込んでいたが、今日やっと❝開き直って❞ブログを書くことになった。