願わくば、みかんの花咲く里で

間もなく80歳。笑いながら、怒りながら、もしかしたらべそかきながら、自分を励まして生きていく記録

横殴りの雨の中で、東村とお別れ

 12月17日夕刻、研修報告会が行われた。南米研修生は、あと5日で、3か月の研修生活を終えてアルゼンチンに、ブラジルに帰る。私は明日、東京に帰る。

 前日になってやっと、彼らが研修報告書を書き終えて提出してきた。すべてを翻訳アプリを使って書いているので、日本語としては通じない文章も多く、米人独特の美辞麗句を連ねたものは、空々しく感じられたが、もう直す時間もない。どうにもよくないところだけを直して、読む練習をしっかりしてくるようにと話した。

 そして、12月16日・当日。

 自分の言葉で書いたものではなく(翻訳アプリの言葉)、その上、読む練習すらしてこなかったようで、研修報告発表はひどいものだった。私はいたたまれない気持ちで聞いていたが、発表している本人たちは、どう思っていたのだろうか? 集まった村人たちはじっと我慢して聞いてくれたが、本当のところどうだったのだろうか?

 その後、演技の発表になり、初めに空手と棒術の発表(先生同伴)、

2人の三線演奏(比嘉勝正先生がリードしてくれた)と、2人の沖縄舞踊(これも隣で先生が踊っていてくれた)、3つとももとてもよかった。これで救われた。

 さて、私にはこれが、今度こそ東村で働く最後の日になるだろう。

 私の「日本語指導報告」の発表もあったのだが、これには「めでたし、めでたし、シャンシャンシャン」ではなく、今年の研修の本当の姿を、マイナス点も70%ぐらいは知らせたいと思って書いた。

 それが教育長にはちょっと気に障ったのか、最後、閉会の言葉の中でチクリと刺された感じがした。今、村長選の直前なので、「研修がうまくいったか、マイナス点があったか」ということも、どちらかの派の攻撃材料になるらしい。(というような話も聞いている)

 最後、この日に唯一よかったこと、

それは前回=2019年の研修生アドリアーノ(水色シャツ)が3日前に沖縄に着いたということで、駆け付けてくれ、「自分にとって日本語を教えてもらったことはとてもよかった。それからずっと自分で日本語の勉強を続けている」と言ってくれたこと。本当に3年前の別れた時よりずっと上手に話せるようになっていた。

 

 この夜は土砂降りで、翌17日、東村を離れる時も横殴りの冷たい雨が降っていた。まるで今回の滞在の総括を象徴するような雨だった。⛈️🌧️☔